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article:sayonara_zetsubou_sensei [2020/05/31 02:27]
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article:sayonara_zetsubou_sensei [2020/07/19 16:09] (現在)
kijima [さよなら絶望先生]
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 +{{tag> essay}}
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 ====== さよなら絶望先生 ====== ====== さよなら絶望先生 ======
  
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 単なる毒舌とは違う。 単なる毒舌とは違う。
 適度に面白さと毒と謙虚さが混ざると最高になる。 適度に面白さと毒と謙虚さが混ざると最高になる。
-そのレパートリーに『さよなら絶望先生』が加わった。+『さよなら絶望先生』はまさにそういう感じで、ズバッときた。
 ===== 概要 ===== ===== 概要 =====
  
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   * ポロロッカ(派生→原作への)…   * ポロロッカ(派生→原作への)…
  
-日常的にスルーしている世の中のおかしいことを、独特の視点からユーモアを交えておもしろおかしくしている。まった攻撃性はなく、ただ面白おかしくネタにしているのが面白い。+日常的にスルーしている世の中のおかしいことを、独特の視点からユーモアを交えておもしろおかしくしている。説教臭くなく、ただ面白おかしくネタにしているのがい。
  
 ===== 世の中の見方 ===== ===== 世の中の見方 =====
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 現実問題を一歩引いて考えられる。 現実問題を一歩引いて考えられる。
 ユーモアを交えて主張することは学校ではまず教えられないことだが、実はすごく役に立つように思える。 ユーモアを交えて主張することは学校ではまず教えられないことだが、実はすごく役に立つように思える。
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-===== ミニマルさ ===== 
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-シンプルな線で構成された絵もきれいで大きな魅力である。萌え漫画としてかなり重要である。 
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-映像にすると、意外と怖くなかったりする種類のものがある。 
-小説で読むのが一番怖かったりするものって、多分経験あると思う。想像力>映像なんだ。画質ってことじゃなくて、それぞれの一番怖いものや経験を投影するからだろう。 
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-怖さに対するこの見立ては、漫画やアニメにも応用できる。 
-つまり、最小限のほうがよい。詳細に描くほど、迫力や恐怖、あるいはかわいさの一部がどこかへ消えることがある。 
-想像力という面では最小限であればあるほど、いいのだと思う。 
-絶望先生の画は驚くべきことに、削ぎ落とされた、最小限にもかかわらず、必要な線だけを持っている。 
-足の線を見よ!顎のラインを見よ!線だけでエロいってすごいと思う。 
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-===== 作者と自信 ===== 
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-単行本の巻末には作者のブログが綴られている。そんなこと公開するのか?と思うほど暗すぎな内容でまさに絶望先生の作者、と思う内容だ。30巻続くとかアニメ化というのは未来から見ると、最高に面白いし、順調で確定した道のりだったんだろうと思ってしまう((生存者バイアス))が、不安が多いことがわかる。不安というより作者の謙虚さなのかもしれないけど。 
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-そういう痕跡を残すものは貴重に思える。世の中にあるたいていのものは、有名になった後の結果だけわかる。作者たちは最初から自信満々だったと思ってしまう。でも実は、そうでないのかもしれない。 
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-ということで一つの教訓…自信の有無は、作品の優劣とはあまり関係ない。((ただし、競争にさらされていることが前提。もし単に趣味で、何も制約を受けず書いているのであれば、確実に劣っている。))自信のなさがいい作品を生むパターンだってあるということだ。孫正義とかホリエモンとか誇大に言う人が注目されがちだが、こういう人だっている。重要なのはなしたものの中身をよく見ることだ。 
  
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article/sayonara_zetsubou_sensei.1590859649.txt.gz · 最終更新: 2020/05/31 02:27 by 127.0.0.1