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{{tag>}} ====== 緊張感 ====== 働きはじめて1週間である。まわりに追いついていく姿があまり想像しにくい。みんなすごい。仕事をやってるあいだは目の前のことに集中してそんなことを考えない。 1週間にしては頑張っているほうだと思う。プログラム言語、フレームワーク、コマンド、エディタが使えるので、どうにかなる。ほかの人ができたのだから、自分にできないわけがない。 どういうわけか、そんなに深刻に考えることがない。 今までを思い返してほかのこと、たとえば受験勉強なんかでは、クラスメイトがスラッと解けていたり、周りの人が次々と解きおわるのを見ると冷や汗がでて焦った記憶がある。 最大の違いはやってることそのものの楽しさだと思う。別に人より秀でている必要性がない。そのものが楽しいのだから。 とはいえ、趣味で感じる楽しさとはまた異なるようにも思う。 仕事で感じるのは、時間との戦い、コミュニケーションが大前提、といったところだ。 やることは無限にあって、どう処理するか。また、やった仕事はすぐにほかの人が見て、評価を下す。しかもその人は別に親しい人でもない、まったく違い価値観をもっている。下手な仕事は、破滅的な結果をもたらすかもしれない。 その緊張感は、モノづくりにおいていい方向に働くこともあるかもしれない。制限が、いいものを作り出すことがあったって不思議でない。 環境や前提の違う相手に本気で文章の意味を考え、正確な情報を与えるために書いたり話したりことは、上達を意味する。村上龍みたいなことをいってるな。 制限が、能力を上昇させる。 文章がいつまでたってうまくならない、とよく思う。 単純で、人に読ませる認識がないからだ。ネットに文章に垂れ流すことは何の制限もない。結果もたらすのは堕落だ。ネットの書き込みや便所の落書きに、かつていいものがあっただろうか? ネットを作っているのは、責任ある人々で、実際に読まれている人だ。それ以外の人はゴミを量産し、うまくなることもない。実体験だからよくわかる。これだって何が言いたいかよくわからない。 仕事で文章を書くときは、ひどく緊張する。 手が震え、汗が出て、何回も見直す。読む人の顔をいろいろ想像して、破滅的結果について心配する。 実際本を書くような人は、出版社かなにか企画を持っていて、書くらしい。ネットでだらだら書くのは、間違った方法の可能性が高い。 ほとんどの人は途中でやめる。続ける人も、ゴミを量産し、いつか書くのをやめる。結果、何も残らない。 独学の限界とは、そういうところにあるかもしれない。外圧、緊張感のなさ。独学は独学で必要だけど、学ぶだけで実践にはならない。 もちろん学ぶことは必要だけど、いい仕事をするにはそれだけでは足りないのは明らかだ。 ということで、オレはどうするんだろう。 とりあえず10秒でできることは、文章をチャットに入れて書いているところを想像してみることだ。コミュニケーションするとき無意識に伝えなければならない情報を正しく認識させて、誤解されるのは恐ろしいことだと考えやすい。 もしそういうふうに思えたなら、文章はうまくなるはずだと思う。うまいとは、要するに情報をいかに正確に伝えられるかであるから、そうした経験を単に多くすれば良い。さあ、チャットを開いて、誰か個人の、とくによく知らない上司がいいだろう…。その人のアイコンを前にして、どのように書けばいいだろう、と焦りはじめたら、上達の道は遠くないだろうと思う。
blog/2020/1009_緊張感.txt
· 最終更新: 2020/10/09 00:52 by
kijima
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