『数学に感動する頭をつくる』は数学ができる人とできない人の違いは何か?を筆者の教育体験から解説する本。高校のときに読みたかった。受験ノウハウじゃなくて、まずは数学とは何か、他教科との違いを知ることからはじめないといけなかった…。
数学は、得意で好きな人間がいる一方でさっぱりできない人間も多い。両者には大きな溝が存在する。 できる人間も、どうして人と比べてできるのかうまく説明できないことが多い。わからないことが、わからない。 できない人間は、当然できないままで苦手意識を抱え頭がよくないのではという劣等感を抱えることになる。私である。
結論から言うと、数学ができないことは、頭が悪いとか、問題解決力が低いことを必ずしも意味しない。当然かもしれないが、できない人間は自信を持ってこれを言うことが難しい。しかし、イメージ力、数字への感覚、数学への取り組み方がほかの物事に応用できるので、数学ができる人はほかのこともできる確率が高い、ということだ。
筆者は詰将棋にたとえている。常人に比べて何倍もの思考をしているというわけではなく、パターンに当てはめて認識したり、アプローチの方法がいくつかあって適用できる幅が広いということだ。
数学ができる/できないのは、ほかのややこしい諸問題と同じく、複合的な問題である。
これらの方法は学校教育で教えられることがなく、また他の教科、英語とか国語とか…と異なるアプローチを必要とするが、それに気づかず多くの人がつまづく。
筆者は数学に必要な能力を、
などとして、それぞれの能力を伸ばす方法について言及している。
まず数学的感覚について知ることが必要らしい。 ある分野について複数の本をやってみる。一分野について体系立てて学ぶことで楽しさを体験する。 じゅうぶんだと思ったらほかの分野についても同じことをやっていく。
言及されていた初心者おすすめルートは、初等幾何学だ。 『目で解く幾何』→『幾何の有名な定理』→『幾何の魔術』→『幾何学』(清宮、モノグラフ)→変換幾何
大人になってちゃんと学び直したいなら、自分の習ったこと、解いた問題はすべて意味を持って構造化する必要がある。
こんな自問自答を繰り返して自分の世界を作らない限り、抽象的な数学はわかったような気がしてもピンとこない…。
文系科目と理系科目のアプローチの違いが興味深い。
文系科目は、「そういうもの」として全体をおおざっぱに把握、覚えればできる。 わからないところは後回しにしてもクロスワードパズル的にいつかわかる。 だから与えられたものをただ理解していけばいい。
数学は構造的、順番に理解していく必要がある。 また、自分でいろいろ試す(遊ぶ)、検証、既存の分野との融合をすることで理解が深まり、概念を再利用したり拡張したり、微調整が効くようになる。
2つの分野の違いは、知識のパーツの大きさ、直交性の違いだ。
学ぶためには両方の手法が必要である。 たとえばプログラミング言語の学習を考える。 諸々の文法やイディオムは文系的学習で学ぶことができ、基本的な利用ができるようになる。 しかし文系的手法では「そういうもの」として粗く認識し、疑問を覚えることもない。
そこに数学的手法を入れると、解像度?が高まる。たとえばこの型にこの型を代入するとどうしてこうなるのだろう?と検証していくことで微調整ができるようになっていく。疑問設定力といってもいい。 プログラムはAND,OR,NOTですべて表現できる。電子回路だってそうだ。少ない基本単位を組み合わせることで、驚くほど種類の多い、厳密な表現ができるわけだ。そうした基本単位を使いこなすためには、実際の練習とか実験しかない。暗記じゃムリ。
もっと細かく分析することでツール自体に微調整を加えられるようになる(と思う)。少なくとも概念自体を試すためにテストしたり検証することは、より深い理解につながる。単に覚えているだけと、概念の修正までできるような習熟には大きな違いがある。
ある人には意味を持って全体の理解を一瞬で得られるが、ある人にはバラバラの事象にしか見えないことがある。 将棋、図形問題が上げられていた。 将棋のプロは一瞬見ただけで盤面を把握して再現できる。数学のプロは図形の本質的な部分を一瞬で把握する。 全体を考えられるということだ。できない人はまず問題を頭に入れることすら困難だ。図でごちゃごちゃして、問題を考えるというより考えるための準備すら難しい。
語学だって、そうかもしれない…文1つ1つが読めても、全体として意味がわからないことがある。たぶん根は同じ。部分部分を読んでいても、全体の文脈を一時的に記憶しながら、文脈に沿って読む必要がある。たぶん、部分の解釈に力が入りすぎて前の文章のメモリーがうまくいっていないんだと思う。だから全体の意味が取れない。
1つの典型的な問題を丸ごと記憶することで、その問題の発想の核ができる。
その上で問題の拡張をしていく。
わかるとは、自分が抱いている世界の中に、きちんと未知事項を位置づける能力のことなのである。
未知のものに対して、自分なりの世界を構築していくこと。
自分の経験に引きつけて、ある未知の問題を自分の世界に位置づけようとする力が旺盛であるかどうか。
理解する、解けるようになる。その後、類題は紙や鉛筆を用いずに頭の中で解けるようになるまで訓練するべきである。そこから頭の中で問題をイメージする訓練がはじまる。
認識の深まりがなければ、何も感動せず、ふーんという状態で終わる1)。段階を踏むことが必要だ。