鹿児島県神社庁によると、
古老の言い伝えによると、神代の昔、御祭神が石樟船に乗りここへ流れ着かれたので祀られたという。当社より五十間ばかりの波限にその石樟船といわれる大岩があり、帆柱を立てた跡や、艫には柁床の跡があって、又、柁は出水郷隼人の瀬戸の柁折の瀬というところにある奇岩がそれであるという。
阿久根市誌(昭和49年刊)1020頁によれば 言い伝えによれば、建久三年(一一九二)鎌倉幕府の命により、山門院に下向した田上資一が氏神として建立したものといわれている。棟札には「慶長十六亥八月十四日大檀那藤原義虎公 子孫繁昌…」と記されている。
出水風土誌(大正4年刊,昭和51年復刻)523頁によれば 建久三年三月鎌倉の命に依り山門院筒田郷に下向した、上出水村武本田上氏の始祖田江資一(四代目より田上を名乗る)が氏神として創建す。当社の傍らに船形の巨岩あり。田上隠岐守漂着の軍用船化石なり。地理纂考に曰く往古漂着せし唐船の化石であると。
建物付近にある記念碑。昭和10年(西暦1935年)とあるが、肝心の何の記念碑か書いてない。建物のことか?側面に書いてあったかもしれない?
折口川対岸に、鳥居が見えた。あとで調べてみる。