好きな作品があって、原作はあるのに続編が出ない!ということはよくある。 1)
シリーズが続くと間口が狭くなり、そこらへんが新しくしたほうがお金になりやすくなり、難しい。 今はインターネットがあり、いつでも見れるのでシリーズものに対するハードルの高さは低くなっている。より長くシーズンが続いていくといいと思うが、実際どうなのかよくわからない。
映画だと、完結するのであまり続編への期待はないかもしれないが、途中で終わった作品群に希望を与えるパターンがある。 斬新なタイプのタイムスリップを見せた『ジュマンジ』の2作目は、20年後に続編が作られ、それからさらに最近また3作目が公開されている2)。
1作めはマス目で起きたことが現実に反映されるボードゲームで、なんとかクリアしていく笑いあり感動ありの作品だった。続編『ジュマンジ2』はテレビゲームの中に入るという内容。 ゲームと現実が融合するというコンセプトは同じだが、時代に合わせたメディアになり、今回はビデオゲーム。 また、タイムスリップ、人間関係的成長といったのは1作めと同じだ。
この映画の最大の魅力は、攻めた訳だ。 映画の途中で、いきなりチョベリグとか、マジ卍とかウェーイとか出てきてびっくりした。 どれも…死語だ。マジ卍はたぶんまだ死語じゃないけど、間違いなく死語になるに違いないので死語のようなものだ。 特に意味ない言葉は消える。
もちろん前作のこともあって薄々わかってくるんだけど、じつは時代が違うってことを表している。変化をわかりやすく表すためにわざと死語を使ったというわけ3)。 ゲームの中ではたいして時間が過ぎていないが、じつは何十年も経ってました、という感じなんだが、ここで注目したいのは文化をまるごと翻訳したハイセンスな(?)訳だ。映画の元は英語なので、そういう世代を表すような死語をうまく日本語にしたらそうなるんだろう。4) 内容的に全く違和感なく、ぴったりだった。
チョベリグ…今使うとクソダサいと思うんだが、当時は大真面目に使ってた(らしい)。 登場人物の若者の白けた感じが、まさに現在使う「チョベリグ」に向けられたものと同じに見えた。 昔流行ってたというのは一応知識として知っている。
次のチョベリグは何だろう。マジ卍か?使ったり使う人をほとんど観たことはないが…。 でも一応知ってはいる。要するにマジとか、やばい、って意味だろう? この現象は何なんだ?まず喋らないけど言葉は知っている感じ。
もしかするとチョベリグもそうだったのか? 一部の人たちが使う言葉を面白がるために、メディアが使ったりするような。だとしたらオレが知ってることにも納得がいくような。 ヤマンバギャルを取り上げるのと同じような感じか?。ごく一部のおバカな人たちが使ってるから、面白がって流してる、と。で、同じような人が真に受けて使い出す。
流行の周期が短くなってる、みたいなことを聞く。 ホントかどうかはわからない。 少なくとも経済においては事実のようだ。企業がモデルチェンジした製品を出しても、すぐ売れなくなるらしい。だから企業はさらにモデルチェンジの頻度を高めている…んだってさ。
流行語大賞の年ごとのワードを見返してみると、記憶に残っているものはほとんどない。以前からそうなんだろう。予測は難しい。果たしてマジ卍は「チョベリグ的ポジション」…もはや誰も使わないが死語だということはよく知られている言葉…になれるのか?それとも誰も話題にすら出さない本当の死語になるのか?
一口に死語といっても2つあるように思える。ネーミングしてみよう。
要するに日常で使いやすいか、インパクト、概念のフィット感、認知度の違いだ。 流行語大賞のほとんどが無語になるのは使いどころがない、時事ネタが多いからだろう。 逆に言うと流行語大賞に選ばれると無語となる、ともいえる。5)
マジ卍は、一応使いやすさ的なところ、現時点の認知度6)から言えば、仮死語になりそう(もうすでになってるかも)だ。 概念の薄さから言うと無語なんだけどな。マジ卍と発音しようがしまいが、意味は変わらない。 空気の無駄遣い。あ、でも場の空気とか仲間意識って面では一役買ってるのかな。
何も考えずにとりあえず発音しておけばどうにかなる、便利な言葉。あ、もしかしたら死語にならないかも。