ブラックコメディで有名なリッキー・ジャーヴェイスがトーク番組で、
気に食わないことがあると止めようとする。自分に合わせろって。
この50年は人類にとって最高だった。1965年から2016年、全てが絶頂期さ。寛容、自由、医療…今はなんか違う。ここ数年で何かが変わったんだ。
世界は悪くなってる。ソーシャルメディアのせいだ。
と言っていた。
世界とまでは言い切れないが、ソーシャルメディアで一部分が悪くなっているのはよくわかる。 そもそもソーシャルメディア自体が…どれも内容の質、そして注目を集めることがクソすぎる。 淘汰がなく、良くなる方向への力がかからないのでクソになるのは当然に思える。
ソーシャルメディアは誰でも意見を発信したり投票できる、民主政治のようなものだ。 リアルな政治と違うのは、直接利害が発生しない、現実の経済力や社会的地位1)が影響しない、ということだ。
これらは良い点に思える。力のない人でも平等に参加できるなんて今までなしえなかった理想だ、世の中の誰もがいい意見を持っていて人類に貢献できる可能性がある、少数者が権利を主張できる、etc…。 理想はそうだ。でも実際に起きているのは実際の政治がぬるく思えるほどの、衆愚政治だ。
方向はめちゃくちゃだが、影響力はあるから、コメディアンはじめプロの表現者たちの表現の自由が制限されることになる。世の中にはもっとクソが蔓延することになる。ソーシャルメディアによって世の中で起きていることはこういうことだ。
世の中の大多数の人の読解力、作文力、思考力はヒドい。 知能とかそういうことじゃなくて、単に考えてないんだ。例えばニュース番組の街頭インタビューで聞く価値あることを言っている一般の人2)はいないのは単に何も考えてないからだ。政治に対することを学び、考える時間と余裕がない人が投票したっていいことがない。
逆に、リアルな政治がかろうじて機能しているのは無関心層が投票しないからに思える。 実際無関心層がランダムに投票した場合めちゃくちゃになるだろう。例)トランプ、ブレグジット
ソーシャルメディアにしろリアル政治にしろ、これからまともに軌道修正するためには、2つの方法がある。
もちろん理想的には後者だ。難しいが、その分ずっと価値がある。少なくともまともな意見や文章を淘汰する仕組みがあれば、ずっとよくなるように思う。
歴史の教科書では、明らかにああこのときはバブルだったんだなとか、高度成長期だったんだなとか、こういうファッションとか流行だったんだダセーと大雑把にくくる。 真っ只中にいると、今がどういう時代なのかとか、変化を知ることは難しい。 何十年後とかには明らかになるのだろうが、そのときにはもう情報として古い。
知りたいのは、今がどういう時代かということだ。 そうよく思う。 リッキー・ジャーヴェイスが言うように、ソーシャルメディアが間違いなく大きな変化だ。 スマホの普及とソーシャルメディアはだいたい同時だった。 たぶん街の風景も大きく代わった。街を行くみんなが小さな画面を覗き込むようになった。 映像なんかで、比較したら明らかにわかるはずだ。服装とかはそう大きく変化していないにもかかわらず、スマホだけが変化した。
ということで、スマートフォンが最も普及したという2008年と2012年は全く違う 2016年と2020年はたぶんそんなに変わらない。同じ4年だけれども、2008年〜2012年は大きい、でも静かな、変化があった。
たぶん、細かく見た場合の世代の違いはある。 自分の体験…オレは高校での初端末がスマホである最初の世代あたりだが、少し上の世代が外交的に見える。一方、下や同年代は内向的な感じがする。もちろんものすごく狭い範囲の体感でしかないが…。 スマホがあればなんでもできるんだから、理屈の上では内向的な人間が増える感じもする。外交的である必要性があまりなくなるからだ。遊びは完結し、SNSで間接的にやり取りできる。
彼が言うように悪くなってるかはともかく、ここ数年で大きく変わったのは事実だ。 聞いてなかったら、なんとなく見逃していた変化だろう。
変化がわかれば、どう対応するか、解釈するかのバリエーションが増える。
似たようなことは、伊集院のラジオでも聞くことがある。 twitterでやたら怒る人たち、ネットニュースの記者たち。 だからすごく慎重に、攻撃や批判じゃないですよ、ということを伝えようとしている。
コメディアンにとって、表現の自由は命なのだ。
リッキーのほうが毒がだいぶ強いけどね。面白かった。