笑えるものを見るのは当然好きだ。でもただ面白いだけじゃ物足りなさを感じる。だからコント番組とかあまり好きじゃない1)。後からずっと印象に残ったり、この人のほかの番組や作品知りたい!となるときは、世の中を率直に表現すると社会批判・皮肉っぽくなりました、というようなものだ。…当たり前だと思っている世の中のほうがねじれていることを思い出させてくれる。
ということで伊集院光の深夜の馬鹿力とか、リッキー・ジャーヴェイスの作品などが好きだ。単におもしろおかしいだけでは物足りない。何か伝える意味があると最高に楽しめる。
単なる毒舌とは違う。 適度に面白さと毒と謙虚さが混ざると最高になる。 『さよなら絶望先生』はまさにそういう感じで、ズバッときた。
『さよなら絶望先生』は世の中にすぐ絶望し死にたがる先生と、問題児ばかりの「2のへ」組の生徒たちを描く漫画作品である(アニメもある)。問題児たちは電波、DV疑惑、ストーカー気質、猟奇、密入国、加害妄想、…とかなり絶望的。 第一話は登場していきなり首をくくろうとする前代未聞の主人公、糸色望(いとしきのぞむ)先生と、ポジティブすぎる少女、風浦可符香が出会うことから始まる。可符香は首をくくろうとする望を「身長のばし」と解釈するなど、ネガティブとポジティブの両極でまったく噛み合わない。
1話をみると、ああこういう話の構成ね、これから極端な特徴を持った登場人物たちのコメディが始まるんだなとわかる。実際しばらくはその方向性で続くのだが、読み進めるとコメディの方向性が変わってくる。個性的なキャラ自身のネタというより、キャラたちの視点で社会や時事をネタにするようになってくる。そのモードに入ってからが本番で面白い。
よくある流れは、先生、日本社会のちょっとした何かに絶望する=テーマ設定→生徒:こういうのもありますよね?→列挙(危険なもの…北朝鮮、政治、芸能etc…の風刺が混じる)→絶望した!〇〇な〇〇に絶望した!といった感じ。
例)
日常的にスルーしている世の中のおかしいことを、独特の視点からユーモアを交えておもしろおかしくしている。説教臭くなく、ただ面白おかしくネタにしているのがいい。
こういうレッテルを張ったり新しく言葉を作る遊びは、現実社会を独自の視点から見るトレーニングになると思う。 また、世の中にすでにあるレッテル張りに関しても敏感になる。 日常的なことだって、あるいは深刻なことだって、違う視点から見て笑い飛ばせる。 世の中のヘンなことや気に食わないことも、ユーモアを交えて表現できれば楽しめると思う。
悩んだり恨むのは最悪だ。自分や人が悲しくなるだけで何も解決しない。 映画の主人公が魅力的なのは、どんなピンチでもブラックジョークや皮肉を言うからだと思う。
意味不明なことが跋扈する社会で生きるメンタル的に必要なことかもしれない。関心を保ったまま意味不明のことにうんざりしないのは難しいことだ。
現実問題を一歩引いて考えられる。 ユーモアを交えて主張することは学校ではまず教えられないことだが、実はすごく役に立つように思える。