現実よりもCGアニメに懐かしさを感じる現象
攻殻機動隊の新作を見た。
攻殻機動隊は2040〜50年くらいの日本が舞台になっている。
三次、四次の世界大戦
東京や沖縄が核攻撃で消滅
難民を大量受け入れ
安保や憲法9条が残っている
もちろん現在とは異なる部分が多くあるが、荒唐無稽ではなく可能性の1つとしてじゅうぶん考えられる日本の未来である。
そんな日本社会での公安9課の活躍を描いた作品。
刑事モノともいえるけど、自律式の戦車や重火器、オスプレイとかを持っていて軍隊に近い。今よりずっと進んだコンピュータ社会で、高度な技術を使って捜査し、犯人とドンパチやって抹殺する。
漫画、アニメ、映画で違うストーリーになっていて、雰囲気もかなり違う。設定を借りた別世界とか、パラレルワールドといったほうがいいかもしれない。だから、コンスタントに映画になったり新作アニメが出たりしている。攻殻機動隊とは、登場人物たちの物語というよりも世界観なのかもしれない。
今回見たのはアニメシリーズSACの続編だ。
いきなり舞台がアメリカというドラマスペシャルみたいな感じだったりCGアニメだったりでちょっと不安だったがやっぱり安定の攻殻機動隊だった。
もはや懐かしさを感じる
ということで中身はとくにいうことなく大満足だった。なので別に言うことない。
それより見ていて思ったのはCGの凄さ、可能性だ。
人以外のモノは、ものすごくリアルである。
そうなって気づくのは、あまりに現実に近いCGはとてつもなく懐かしさを感じる瞬間を生みだすってことである。
たとえば部屋が映るシーン。なんの変哲もない、少年の暮らす家なのだが、間取りや家具や壁の質感、ほこりの空気感が把握できる。細かい。これがなにか記憶を揺さぶる感じや、その場にいるような感じがする。はじめて見たとは思えない。実写というか、現実でもほとんどない現象だ。
たぶん、余分なものを削ぎ落として極限までリアルにしたらこうなるんだと思う。現実では細かい情報が多すぎるために同じ分類に入れられることはほとんどない。人間は細かい違いを大雑把に捉えて把握するのが得意だ。
逆にアニメや漫画だと記号の意味を捉えているので、現実のなにかと結びつくことはほとんどない。りんごと、りんごを参照している文字は明らかに違う。
余分なものを削ぎ落としたリアルな場合は?まずアニメや漫画を見るように記号として認識せず、景色としてみることになる。脳は抽象化した現実の記憶をたくさん保持していてそれを元に分類するが、余分なものがないため差異が生まれない。なのでかんたんに自分が見たどこかの景色と同じ分類をしてしまうんだろうと思う。結果「これ見たことある!」となって懐かしさを感じる。
そして映像に加え、社会文化的なさりげない「あるある」な情報が多い。
銀行の回では、銀行にありがちなつまらないポスターがやたら細かく描写されていた。ポスターは再利用できる透明な額の中に入っていて、人物の胸像の下に標語みたいのが書かれている。それらはありがちな「意味」だ。細かく見ることはないが、どういうものがありがちなのかはぼんやりとイメージを持っている。脳のイメージを形にしたらこの映像みたいになるのかもしれない。逆に見た場合は脳は「あ、これ保存してるあのイメージと同じだ」となるんだろう。
人間だけは違う
人間だけはデフォルメがきいている。これは不気味の谷現象を避ける目的だろう。
人間は人間を見分ける力が異様に高いので、かなりリアルでも作られたものには違和感を感じてしまうらしい。たぶん今の技術でも厳しいのだと思う。
article/sac_2045.txt · 最終更新: 2020/06/10 14:43 (外部編集)