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阿久根場所リスト

外から見ると貴重なものも、そこにいる人々からすればべつにそうは思わないことがある。そのまま忘れられていく。 そういったものをアーカイブして楽しみたい。

石船(いわふね)

石船周辺にはいくつかの史跡がある。

  • パイロットの墓
  • 沖合の紫電改

西日本新聞の記事によると機体は石碑から約50メートル、水深2メートルの沖合に沈んでいる。1)50メートル以内に水深2メートルの地点はない(まだ砂浜が続く)、かなりぼかした感じか?それかゼロを1つ間違えたのか?墓標はまっすぐ機体が見えるところにあったようなので、そこから位置を考えることができる。以前は引き潮時に機体が見え、泳いでいくことができたという。墜落時の写真を見ると、普通に立っている。足湯程度の深さしかない。沖合に流されたか、水深そのものが変わっている。…深くなった?石船と逆だ。どの年代の衛星写真でも確認できなかった。たぶん墜落時と水没時にはタイムラグがあって、沖合にいったあとに沈んだのだと思う。 西日本新聞や、地元のダイバーの写真からたしかに存在はするようだが、いずれもよくわからない写真だ。意図的? 水深が浅く、相当傷んでバラバラになっているのだと思う。

  • 石船(田上隠岐守伝説) → 折口川河口左側にある大岩、現在は完全に埋まっている。

1948年?の衛星写真でそれっぽいものを見ることができる。しかも、鳥居と建物と岩が一直線上に見える。つまり、建物から見ると鳥居のなかに岩が見えたはずだ。祀っているので理にかなっているように思える。現在は鳥居が変な方向にあるだけだ。先には砂防林しかない。石船を採掘するにあたって難しいのは環境が全く変わっていることだ。砂防林は拡張して、砂浜は高くなりそのぶん太くなっている。実際にみたことがある人はいるのか?市役所HPによると白黒の写真がある。ほかにネット上では見つけることができなかった。写真で大きさがよくわからないが、少なくとも1~2メートルくらいはあると思う。そんなに高いものが丸々埋まるのだから、よくわからない。 2000年代?役所が主導して大規模に掘り出したことがあった?が台風で再び埋まった。写真が残ってないのは撮り忘れたからだという。少なくとも2000年代、上部がわずかに見えていたらしい。岩の色は茶色。今は完全に埋もれている。近くに市の看板があって、そのへんにあることを知ることができる。

  • 神社(↑それを祀った?)
  • 鍋石(1キロくらい内陸に離れてる)

石船関係のものが離れているので不思議だが、川沿いかつ、昔は湾になった海だったというから(最寄り駅は折口駅、折口は船の降りるところ…ショートカットで行けるよう渡があったかららしい)、そう不思議ではない。大きな船は湾の入り口で動かなくなり、小さなものは奥までいった、という設定か。

岩船を掘り返してみたいし、戦闘機を引き揚げてみたい。いつかやる。

サルベージの方法には色々あるが、設備を考えると非常に限られた方法しかない。有望なのは浮力を使う方式だ。 空の巨大な容器を沈めて沈殿物と連結し、海中で圧縮空気を封入することで浮上させる方法だ。 紫電改は2トンあるらしい。

浮力の計算がよくわからない。押しのけた水と同じ?で、水の密度は1g/1cm^3だから、2トン分の水を押しのければいい。 1 m^3 = 100 * 100 * 100 cm = 10^6 cm^3 = 10^6 g = 10^3 kg = 1 t

つまり2m^3用意すればいい?そんなもんか?間違ってる気がする。そんなんでトラックくらいの物体が浮くか?

ビート版を思い出してみると意外とそんなもんかもしれない気もする。沈めるのは相当難しかったような。船だって浮いてるな。

  • 海蝕洞

史跡ではないが、見る価値がある。折口川河口からすぐ南の、切り立った崖を降りるとほかの浜から孤立した小さな砂浜と海蝕洞がある。 上部は縄か何かが手すりみたいになっていて通ることができる。そこに立つと海の上に浮かんでいるような感覚がした。非常に澄んだ海水が洞窟の下に消えていく様子は神秘的で、怖さもあった。よくそんなところで遊んだものだと思う。 付近はそういう地形なのか、岩の下が削られて入れる部分がある。

脇本

  • 軍事

阿久根銅山

田代の尾原に銅山があったよう。国会図書館のページで調査資料を見ることができる。現在は閉山していて、坑口を見ることができる?実際存在するのは間違いない。1つ紹介したサイトあるが、後に写真だけ削除した模様で見ることができない。

article/akune.1595550458.txt.gz · 最終更新: 2020/07/24 09:27 by kijima