読者が先か、作者が先か

規範意識が強くある世界がある。思春期の学校だ。 中学生、高校生のときに一人でいることは、怖いことであるように思う。 実際に、誰といるかや人気が社会的な力に直結していた。 社会動物的な本能が、支配する世界だ。

大人になってくると、外の世界ではそうでもないことが徐々にわかってくる。 別に一人なんて普通だ。みんなひとりで、みんなそれほど相手に関心がなくなってくる。 もちろん人気であったらそりゃいいけど、すべてじゃないことがわかってくる。

ライトノベル『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は、高校生らしさ…リア充を目指すこと…を冷ややかに見る捻くれた男子高校生が、色々やるラブコメディである。 一般的に目指されるような青春を否定しているけど、結局そういう青春が一番ってことを伝える作品。

結局、何だったか

と、書いてみたが、読んだのはもう3年前で、やっと完結したのを読んだのが3ヶ月前1)。 けっこう熱中して読んで、スゴいよかったって思ったけど、内容はもうよく覚えていない。再度読み返してみようと思っても、あまりやる気が出ない。

キャラ萌えで表面だけ楽しんで読んでいたのかもしれない。 後から思い出して要約すると結局、こういうことだ。 誰もが目指したり目標とするような高校生活は目指さず、人とのつながりもあまり求めないのであるが、イベントが都合よく起き、女の子が向こうからアプローチしてきてくれる。 まさにギャルゲーだが、主人公のキャラ的に、そういうストーリーの進め方しかない。

けなしてるんじゃない。よくできたギャルゲーだと思う。みんな、選ばれなかった子も、かわいいしね。ギャグ、コメディもかなり幅広いネタから持ってくるのだが、何度爆笑したことか。

ただ、作品テーマの青春の嘘、みたいなことはビミョー。結局否定しながらも、イベントが起きていい青春送ってるから。 Amazonの星1レビューもこんな感じのがあった。星1かは別にして、書いてることは正しい。

たぶん何を求めるかによって違うんだ。ラノベだからなんだかんだ言って萌え期待だ、と欲求に素直であれば間違いなく星5だ。深遠なテーマを追い求めるならもっと硬派な本を買えばよいと思う。

どちらが先か

萌え重視の、後から思い返した内容が希薄な作品が生まれる。それは読者が望むのが先か、作者が作るのが先かと考える。 時系列的には作者が先かと思うけど、作者からすると、「こういうものがお好きでしょ?」と作り、実際そういうものが売れてるので読者が先な気もする。

少なくとも本の場合は、読者だろうと思う。 実際、オレも萌え目的で読んだ。表紙のかわいい女の子に惹かれて読んだ。作者だって自虐的にラノベはいい絵師が一番重要とか本文で書いていた。どんな作者だって深遠なテーマを書きたいだろう。そのほうがかっこいいし、やりがいを感じるだろう。家族にだって自慢できる。でも読者がアホで売れないから、萌えを入れる。 ラノベをけなすのは簡単である。でも多くの人がそういうのを望んでいることを考えないといけない。たぶん書く人だって、こんなアホらしいもの書きたくねえよと思ってんじゃないだろうか。

こういうのってほかにもあると思う。ハンバーガー屋がヘルシーなハンバーガーを出したら売上が落ちるとか、そういうことと同じ。マクロに見ると、みんな外食にジャンクさを求めている…結果:ハンバーガーに限らず、不健康食品ばかり並ぶ。

書きたいものは書いても売れない。作りたいものは作っても売れない。 作り手が何かしらの罪悪感を抱く(たぶん)ことによって成立しているものがある。 ライトノベル、ファストフード会社、タバコ会社、TV番組、アダルトビデオ、パチンコ、…。

1)
最初に記事を書き始めたとき:2019年
article/ore_ga_iru.txt · 最終更新: 2020/06/10 14:43 (外部編集)